『あんぱんまん』が教えてくれたこと―神話的考察

アニメ「それいけ!アンパンマン」の原作、やなせたかしさんの絵本『あんぱんまん』の神話的考察。

(9) 「ぶじに いえまで」

あんぱんまんは こどもを ぶじに

いえまで おくりとどけました。

あんぱんまんの かおは、

すっかり たべられて なくなっていました

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 やなせたかし『あんぱんまん』フレーベル館 1976年

 

 

無事、家に帰り着いた子ども。

一方、あんぱんまんの顔は全て食べられ、

なくなってしまいました。

 

家に帰ることと、あんぱんまんの顔を食べること。

一見、関係のないように思える二つのことですが、

これらが同時に起こっていることからわかるように、

あんぱんまんの世界では、この二つはつながっています。

 

 

道に迷っている子どもは、空腹で、そして孤独でした。

しかし、家に帰れば、あたたかい食事があり、家族がいます。

そしてそれは一時的なものではなく、ずっと続くものです。

この家は「救い」の象徴であり、天国や永遠のイメージを含んでいます。

 

 

前の話で、顔は人格の象徴であること、

あんぱんまんにとって、顔を差し出すことは、

自分を失うことに等しい行為であることに触れました。

では、子どもにとって、顔を食べるということは、

どういう意味を持つのでしょうか。

 

それは、あんぱんまんの人格を自分の中に取り込む、

ということに他なりません。

 

あんぱんまんの顔を食べるということは、

単に空腹が満たされるという以上の意味がありました。

顔を食べるという体験をとおして、

二人の間に、人格の交流、つながりが生じたのです。

それは、子どもが「かおがなくても だいじょうぶなの」と

あんぱんまんの身を案じていることからもわかります。

 

顔を食べるということは、極めて強烈な体験です。

自分の身を捨てて他者を救うというあんぱんまんの生き方は、

このとき、この子どもの心に深く刻みつけられたはずです。

しばらくすれば、お腹はまた減るでしょう。

しかし、あんぱんまんはこの子どもの心の中で生き続けます。

自己犠牲によって生まれたつながりは、永遠の意味を持つのです。 

 

 

人格のつながりは、永遠の意味を持つ。