『あんぱんまん』が教えてくれたこと―神話的考察

アニメ「それいけ!アンパンマン」の原作、やなせたかしさんの絵本『あんぱんまん』の神話的考察。

(4) 「さっと くうちゅうに とびあがります」

「さようなら、がんばれよー。」

あんぱんまんは さっと

くうちゅうに とびあがります

 

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  やなせたかし『あんぱんまん』フレーベル館 1976年

 

  旅人に顔を食べさせたあんぱんまんは、

「がんばれよー」という一言を残して、すぐに飛び去ってしまいました。

 

旅人は、砂漠の真ん中で飢え死にしかけていた人です。

せめて、近くの街まで送ってやってもいいのではないでしょうか・・・?

顔の半分までも与えたあんぱんまんにしては、

その後のふるまいが、あまりにもちぐはぐな気がします。

 

物語を読み進めていくと、次に助ける子どもはちゃんと家まで送り届けています。

ということは、この場面ではこれでよかったということ。

つまり、この旅人は元気さえ取り戻せば、しっかりと旅を続けられる人だ、

そのことが、あんぱんまんにはわかっていた、ということです。

 相手の中に依存を生まないこと。

これもまた、与えるときに心を配るべきことです。

 

しかし、あんぱんまんがすぐにその場を去った本当の理由は、

別のところにありました。

それは、旅人に直接「お返し」をする機会を与えない、ということ。

 

あんぱんまんは、ただ与えるために生まれてきた存在です。

だから、「お返し」を受ける、というのはあんぱんまん的にありえないのです。

あんぱんまんが、「お返し」を受けるとき、

おそらくあんぱんまんは死んでしまうはずなのです。

 

旅人の立場から言えば、

あんぱんまんからは受け取ることしかできなかった、ということです。

 

あんぱんまんからは、受け取ることしかできない。

 

 

(3) 「ちょっとだけじゃなくて たくさん たべました」

そして、

ちょっとだけじゃなくて

たくさん たべました

 

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  やなせたかし『あんぱんまん』フレーベル館 1976年

 

 

「ちょっとだけ」と言いながら、顔の半分までを食べてしまう旅人。

 あんぱんまんは、そんなこと最初からわかっていたという風に、

笑顔で自分の頭を差し出し続けます。

両手と両膝を地面につけて。

 

両手と両膝をつくという行為は、相手への降伏、

または相手への最大限の敬意を表します。

なぜ、あんぱんまんはこのような姿勢をとったのか。

 

与えるという行為は、奪うのとは違った仕方で相手を傷つけます。

与えられた人の心には、感謝とともに、劣等感を生じさせます。

場合によっては、その人は生涯その劣等感を引きずって生きていかなければ

ならないでしょう。

 

だからこそ、与えるときには、細心の注意を払う必要があるのです。

「君は劣った存在なんかじゃない、最高に尊い存在だ」という

メッセージを同時に送ることが、与えるときには不可欠なのです。

与えるときの作法といってもいいでしょう。

 

もし、あんぱんまんの顔ではなく、手や足があんぱんでできていたら、

どうだったでしょう。

相手が自分の身体を食べている間、あんぱんまんは相手を見下すことになります。

しかし、顔を食べさせるには、相手よりも低くならなくてはいけない。

まさに、あんぱんまんは与えるために生まれてきた存在なのです。

 

相手に最大限の敬意を払うことが、与えるときの作法。

 

 

(2) 「そんな おそろしいことは できません」

 「さあ、ぼくの かおを たべなさい」

 たびびとは びっくりして

 「そんな おそろしいことは できません」

 と ことわりました

 

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  やなせたかし『あんぱんまん』フレーベル館 1976年

 

 

絶望する旅人の前に現れた不思議な人間、あんぱんまん。

さらに驚くべき、彼の一言。

 

目の前の人間を食べて生き残るか、さもなくば飢え死にするか。

極限の状況で、私たちは生きることの本質を知ります。

 

すなわち、生きることは殺すこと。

私たちは他の命を食べて(奪って)生きている。

旅人が言うとおり、生きることは「おそろしいこと」なのです。

そしてこれは、人がなぜ孤独なのか、という問いの答えでもあります。

 

しかし、あんぱんまんはもう一つの生き方を教えてくれました。

それは「与える」という生き方。自己犠牲という生き方。

自分の命を進んで与えることで、相手を生かす、という生き方です。

 

生きることは奪うこと。与えることは生かすこと。

 

 

(1) 「ひろい さばくの まんなかで」

 ひろい さばくの まんなかで、

 ひとりの たびびとが おなかが すいて、

 いまにも しにそうに なっていました

  

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  やなせたかし『あんぱんまん』フレーベル館 1976年

 

 『あんぱんまん』――

この物語は、絶望からはじまります。

 

広い砂漠の真ん中で、たったひとり、食べるものがない。

やがて日も落ちようとしています。

 

孤独と飢え。

どうして、この旅人は絶望的な状況にあるのか。

その理由は、物語のなかでは明かされません。

 

むしろ、人は始めから孤独であり、満たされない存在である、

そのことを、この物語は私たちに強力に突きつけます。

 

人は、孤独であり、満たされない存在である。

 

 

(序) 「なんのために うまれて」

 

なんのために うまれて

なにをして いきるのか

こたえられないなんて

そんなのは いやだ!

 

やなせたかし作詞『アンパンマンのマーチ』より)

 

 国民的アニメ『それいけ!アンパンマン』の原作、

『あんぱんまん』を神話として読み解いてみよう、

というのがこのブログの趣旨です。

 

ここでの神話の定義ですが、

「世界や人間や文化の起源を語り、そうすることによって今の世界のあり方を基礎づけ、人々には生き方のモデルを提供する神聖な物語」

(吉田敦彦・松村一男『神話学とは何か』有斐閣新書 1987年)

 としておきたいと思います。

 

『あんぱんまん』は優れた童話であると同時に、

とても奥の深い「神話」であると直観しています。

 

「なんのために うまれて なにをして いきるのか」

 

どうぞよろしくお付き合いください。

 

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